人生いろいろ

寿町から、何故出られないか?

横浜寿町は、昔から、日雇いの街だった。今は、生活保護、デイサービスの街であるが、そこには、人とのつながりがある。

路上に人が、たむろしているが、それは、いつもの挨拶が出来る知人が、来るからだ。

あの人は、生きているか?毎日確認しているのである。

お互い、同じ境遇だから、いつ居なくなってもおかしくない年齢だからだ。

他の場所に行けば、さみしくなる、それは年寄にとっては、つらいことなのだ。

挨拶をするだけ、少し、くだらない話をするだけの関係だが、それは、彼らにとっては、たいせつなつながりなのだ。

しかし、ここは、3大貧困地区(東京山谷、大阪西成、横浜寿町)このまま、見過ごしていいのだろうか?

一週間に一度は、救急車が、来る、日常。隔離された、空間、もはや人間扱いされてない雰囲気である。

人間扱いされない人間、そう、妖怪人間なのだ。

彼らの心の叫びは、早く人間になりたい、か?

もはや、彼らの体は、まともに動けない、しかし、正義の心は、あるのだ。

炊き出しには、100人は、並ぶ。昔、派遣村が、あったが、これから、コロナ村になる。

寿町が、最後の砦になるのだろう。